2008年06月11日

歴史ニュース…「白鳳−天平期の金銅仏出土 奈良・明日香の檜隈寺跡」

白鳳−天平期の金銅仏出土 奈良・明日香の檜隈寺跡

6月10日22時25分配信 産経新聞

 飛鳥時代(7世紀)の有力渡来系氏族で、王権と密接な関係にあった東漢(やまとのあや)氏の氏寺とされる奈良県明日香村の檜隈(ひのくま)寺跡(国史跡)で、7世紀後半〜8世紀に鋳造された金銅製仏像の右手部分が出土し、村教委が10日発表した。当時の仏像が発掘調査で見つかるのは全国的にも珍しい。1300年前の金色の鮮やかな輝きが残っており、6世紀中ごろの仏教伝来に力を尽くした東漢氏の信仰と栄華を物語る貴重な資料になりそうだ。

 右手部分は長さ2.3センチ、幅1センチで、手首から指先まで残っていた。一部指が取れていたり、金がはがれていたが、金の発色の良さや、指を1本ずつ彫る技法などから、白鳳〜天平時代の仏像で中国か朝鮮半島製の可能性が高いという。

 仏像本体は全長25センチほどの小型の金銅仏と推測され、同寺の本尊ではなく、僧侶や信者たちが念持仏として持っていたとみられる。

 檜隈寺は7世紀後半の創建で、金堂や講堂、塔跡のほか、6世紀ごろの飛天が浮き彫りされた金銅製の光背が発掘調査で見つかっている。周辺は東漢氏の拠点で、約500メートル南には極彩色壁画が描かれたキトラ古墳(国特別史跡)がある。

 金銅仏の右手は11日〜7月10日に同村平田の国営飛鳥歴史公園館((電)0744・54・2441)で展示される。


 この手の記事には突っ込みようがないが、小さいとはいえ金の仏像を持っていたというのは、確かに当時の東漢氏の栄華の程が知れるな。

 東漢氏って誰?

 4世紀ごろに百済から渡ってきた集団や。技術者や武人として優れた人が多く、征夷大将軍の坂上田村麻呂も東漢氏の出身や。…って、確か前にも同じ話をしたような気がするな。
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2008年06月10日

歴史ニュース「徳川将軍家墓所 調査団中間報告」

<徳川将軍家墓所>「大奥が相当の実権か」調査団中間報告

 東京都台東区・谷中にある寛永寺の徳川将軍家墓所を調査している「寛永寺谷中徳川家近世墓所調査団」(名誉団長、坂詰秀一・立正大名誉教授)は9日、中間報告を行った。将軍家の墓所に本格的な学術調査が入るのは初めて。

 墓所は総面積4500平方メートル。八代吉宗の生母をはじめ、「お裏方」と呼ばれた御台所(みだいどころ)や側室の墓25基があり、三代家光の五男から昭和に至るまでの徳川宗家の妻子69人が葬られている。

 墓石の色調は7種ほど。調査を終えた16基のうち、十二代将軍正室の浄観院(1840年没)の墓誌は2.9メートル四方で「現存する中では最大。今回最も価値のある発見」(調査団)という。木棺には水銀朱が充てんされていたため、遺骨や副葬品は朱色に染まっていた。扇や化粧道具、眼鏡や義歯も見つかった。

 調査委員の竹内誠・江戸東京博物館館長は「大奥が相当の実権を握っていたらしいことが近年、文献から明らかになってきた。今回の調査でそれが裏付けられそうだ」と話す。

 調査は墓所の改葬に伴い昨年6月に始まった。調査結果は報告書にまとめられるが、遺物の一般公開予定はない。


 今年の大河ドラマの内容にそったタイムリーな記事やな。ドラマのほうは見とらんのやが。
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2008年05月17日

歴史ニュース・・・「最古のカエサル像か=南仏アルルの川底で発見」

最古のカエサル像か=南仏アルルの川底で発見

 【パリ15日時事】フランス文化省は15日までに、古代ローマの将軍カエサル(シーザー、紀元前100−44年)の胸像が南仏アルル市内のローヌ川の川底から見つかったと発表した。等身大の胸像は、紀元前49−46年ごろのものと推定され、最古のカエサル像とみられている。
 同省当局者によると、胸像は大理石製で高さ約40センチ。50歳前後のカエサルの薄くなった頭髪やしわまで、極めて写実的に作られている。鼻の先が欠けているが、保存状態は良好だ。これまでカエサルの生前に製作された像はないと考えられていた。
 アルルはカエサルがガリア(現在のフランスなど)遠征後に植民地として築いた町。文化省は昨年秋にローヌ川で潜水発掘調査を行っていた。 


 カエサルはあらためて説明するまでもない有名人やな。

 実質的にローマ帝国を築き上げた人ですもんね。ところで、最近講義がないようですけど?

 ・・・スマン。ちょっとずつ準備を進めてはいるんやが。20回記念として、かなり大物を選んだもんやから、中の人の文才の無さもあいまって手こずっとる。もうちょっと待ってくれ。

 いったい、誰を選んだんです?

 それは秘密や。まあ、取り上げてる時代を考えれば、想像つくとおもうがな。
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2008年04月12日

歴史人物・・・「ガイウス・ルタティウス・カトゥルス 〜第一次ポエニ戦争勝利の立役者〜」

ガイウス・ルタティウス・カトゥルス (BC291〜220)
共和制ローマ執政官 (BC242)

 今回取り上げるのは、第一次ポエニ戦争を終結に導いた名将カトゥルスや。

 カトゥルスは、BC242年に執政官に選出され、ローマ艦隊の司令官に就任するんや。ちょうどこの頃、ローマはシチリアの西側にあるトラパニ、リリバエウム、エリチェという3つの要塞を攻略中やったんやな。

 カトゥルスはカルタゴの補給線を絶つため、港の封鎖に取り掛かったんやが、戦闘中に足を負傷し、一時撤退することになるんや。

 余談やが、この時エリチェの要塞を守っていたのが、あのハンニバルの父ハミルカルや。

 さて、カトゥルスは怪我が治るまでの間、のんびりしていたわけではなく、この機会を利用して兵士たちに猛訓練を課し、徹底的に鍛え上げたんや。その結果、怪我が完治する頃には、海上でもカルタゴと互角以上に戦えるまでになっていたんや。

 それはすごいですね。

 そのことを知ってカルタゴは大慌て。本国から増援部隊をシチリアに送り込むんやが、カトゥルスはそれを察知し、自らも出撃してリリバエウム沖で増援部隊の捕捉に成功するんや。ところが・・・

 ところが?

 この時、リリバエウム沖はひどい時化に見舞われていたんや。そこでカトゥルスは悩んだ。このまま時化の中戦闘に持ち込むか、時化が収まるまで待つか。収まるまで待てば増強された敵艦隊とぶつかることになる。しかし今攻撃すれば、風に翻弄された挙句に海の藻屑と消えることになるかもしれないってな。お前らならどうする?

 私は・・・、収まるまで待ってから攻撃します。戦いでならともかく、嵐で大事な兵士を失うわけには行きませんから。

 あたしなら今すぐ攻撃するね。待ってたら敵は100%強くなっちゃうけど、風に負けるかどうかはやってみないとわからないから。それに自分が鍛えた部下を信じなくちゃ。

 泉が正解。カトゥルスは時化の中、あえて攻撃に踏み切ったんや。結果は大勝利。50隻を撃沈し、70隻を拿捕という大戦果をあげたんや。

 カルタゴはこの大敗北で戦意を喪失、とうとう降伏し、第一次ポエニ戦争はローマの勝利で幕を閉じるんや。



統率政治戦闘智謀魅力
7942787466

特技:海戦


関連人物

ハミルカル (?〜BC229/228)

統率政治戦闘智謀魅力
8665887779


 カルタゴの将軍よ。ハンニバルの父として有名だけど、本人もかなりの名将よ。


参考文献 「ローマ人の物語2 ハンニバル戦記」 塩野七生
       「古代ローマ歴代誌」 フィリップ・マティザック
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2008年04月01日

歴史人物・・・「グナエウス・コルネリウス・スキピオ・アシーナ」

グナエウス・コルネリウス・スキピオ・アシーナ (BC310〜245)
共和制ローマ執政官 (BC260,254)

 第18回目となる今回は、グナエウス・コルネリウス・スキピオ・アシーナや。

 ずいぶんと長い名前ですね。

 この辺でローマ人の名前のパターンについて説明しとこか。基本的にローマ貴族の名前は、3つの部分で構成されとる。個人名・氏族名・家名や。たとえば、カエサルの場合、ガイウスが個人名、ユリウスが氏族名、カエサルが家名や。要するに、「ユリウス氏族カエサル家のガイウス」というわけや。

 じゃあこの人は、「コルネリウス氏族スキピオ家のグナエウス」ということですね。でも最後の「アシーナ」というのは?

 それは今までにもよく出てきたニックネームや。当人の行為によってその当時につけられたやつと、同姓同名を区別するために後からつけられたやつがある。

 そんなに同姓同名って多いんですか?

 ローマ人の個人名ってのは、えらく数が少ないんや。全部で20くらいしかなくてな、頭文字だけでも全部わかるようになっとる。例えばMならマルクス、Lならルキウスというようにな。

 ところでアシーナってどういう意味?

 それはすぐにわかるで。じゃあ、こいつについて話そうか。こいつはBC260年に執政官に就任すると、対カルタゴの前線基地を設置するため、200隻の艦隊を率いてメッシーナに赴くんや。

 メッシーナで補給と兵の訓練を続けていたんやが、そんなところに面白い情報が飛び込んできたんやな。

 どんな?

 リパリという町の守備隊が手薄で、簡単に陥とせそうという話や。


シチリア地図U


 スキピオ自身も現場に赴いて状況を確認し、翌日に備えて一旦沖合いで休息したんやが・・・

 何があったんです?

 重大な情報を聞き漏らしていたんや。ちょうどこの時、パレルモに150隻のカルタゴ艦隊が駐屯していてな、そこの司令官がスキピオの意図に気づいたんや。そして夜のうちに軍艦を派遣して、スキピオを取り囲んでしまったんや。

 あちゃー。

 朝になってカルタゴ艦隊に完全に包囲されていることに気づいたローマ兵は大慌て。しかし時すでに遅く、何も出来ずに捕らえられてしまったんや。スキピオ自身も、兵士と一緒になってパニックになってしまい、あっさりと捕まってしまったために、ついたニックネームが、アシーナバカというわけや。

 そりゃまた悲惨だね。

 まあ、彼はこれでは終わらなかったけどな。身代金を払って解放され、帰国したスキピオは、BC254年に執政官に再度当選し、ローマ艦隊の司令官に再任されるんや。

 え? 大失態をした人物をまた同じ職に就けるんですか?

 ここが興味深いところでな、ローマでは、「一度失敗したのだから学んだだろう。だから今度は成功するにちがいない」と考えることが多いらしいんや。逆にカルタゴでは即刻死刑やけどな。

 で、スキピオは艦隊を率いてパレルモを陥とし、見事に汚名返上したわけや。まあ、「アシーナ」の名は後世まで残ってしまったがな。



統率政治戦闘智謀魅力
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特技:攻城 

参考文献 「ローマ人の物語2 ハンニバル戦記」 塩野七生
       「古代ローマ歴代誌」 フィリップ・マティザック


 余談だが、このアイマス架空戦記「アイマス・トータルウォー」は、BC270年のスキピオ家が舞台や。このゲームでは出てこないが、史実だったらコイツがスキピオ家の統領だったんやろな。

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2008年03月21日

歴史ニュース・・・「聖徳太子が復活! 盗難掛け軸の修復が完了」

聖徳太子が復活! 盗難掛け軸の修復が完了


兵庫県加古川市の鶴林寺で平成14年に盗まれ、韓国人の犯行グループの逮捕で翌年に取り戻された聖徳太子の掛け軸の修復が終わり、同寺で19日、報道関係者に披露された。20〜23日に一般公開される。

 掛け軸は、聖徳太子の生涯などを描いた国の重要文化財「絹本著色聖徳太子絵伝」。縦211センチ、横90センチで鎌倉時代後期の作とされる。

 犯人グループが掛け軸を丸めて持ち去ったため、折り目がつき、一部が剥落(はくらく)するなど傷んでいたが、京都市の文化財修理業者が5年がかりで修復し、赤や緑の鮮やかな色がよみがえった。修復費用は約5000万円。

 犯人グループのうち2人が15年3月に東京で逮捕された際に所持していたが、一緒に盗まれた重文の掛け軸「阿弥陀三尊」は韓国に渡った後、行方が分かっていない。

 幹栄盛住職(70)は「文化財はなくなったら終わり。阿弥陀三尊も何とか取り戻したい」と話した。


 無事直ってよかったですね。

 まあ、これに関してはな。だが、まだ阿弥陀三尊は行方不明のままやし、他にも取り戻さんといけないものが山のようにあるんや。

 そんなに多いの?

 ちょっとこの記事を見てくれ。少し古いが、週刊新潮の2005年10月13日号に載った記事や。


ここ数年,西日本を中心に,わが国の重要文化財が盗まれる事件が相次いでいる。
2005/9/2 島根県出雲市の古刹・鰐淵寺から「紙本墨書後醍醐天皇御願文」など国指定の重要文化財4点を含む,仏画や経典13点が盗難。
2002 兵庫県加古市の鶴林寺から国指定の重要文化財「絹本著色阿弥陀仏三尊像」など8点。
2001 愛知県豊田市の隣松寺から阿弥陀如来の極楽浄土を描いた,県指定の重要文化財「絹本著色阿弥陀仏曼荼羅」など7点。
1998 大阪府太子町の叡福寺からも重要文化財級の高麗仏画「楊柳観音像」を含む仏画32点
1994 長崎県壱岐島の安国寺のから国指定の需要文化財「高麗版大般若経」
これらの犯行の共通点
1. 窃盗の手口が同じ。収蔵庫の南京錠をパールなどで壊し,中扉を開けるなどして中に侵入。そして,他のものにはめにくれず,目当ての重要文化財だけ持ち去る。
2. 盗品の中に高麗仏画がある。
経典がどのように日本に入ってきたのか
 はっきりとした経緯は不明だが,安国寺には1488年,如円坊という僧により持ち込まれたと言われている。
朝鮮半島では高麗から李氏朝鮮にかわる14世紀末に,儒教が仏教にとって代わり,廃仏運動から経典や仏画が日本に入ってきた経緯がある。
安国寺の「高麗版大般若経」がなぜか95年に韓国で国の文化財・国宝第284号に指定される
1997年に日本の文化庁は外務省を通じて韓国に調査協力を要請したが,
韓国政府は「個人所蔵により要請に応えることは難しい」と回答する。

安国寺の「高麗版大般若経」は現在はコリアナ化粧品の会長であるユ相玉氏(72)のもとに!
 ユ相玉氏は韓国高級化粧品会社「コリアナ化粧品」の会長であり,韓国博物館会会長である。
同社が経営する化粧品博物館「space*c」を開館する際に、「高麗版大般若経」を購入したと見られる。
コリアナ化粧品広報部は「大変微妙な話で,内容をきちんと把握しないことには応えられない。」と取材を拒否。

鶴林寺の「絹本著色阿弥陀仏三尊像」も韓国国内で発見!
 2004年9月,重要文化財窃盗犯グループの金(56)や黄(54)が,被害者である鶴林寺に「絹本著色阿弥陀仏三尊像」を取引を持ちかけ逮捕された。
 犯人の取り調べにより,鶴林寺の「絹本著色阿弥陀仏三尊像」が韓国国内の寺にあることが判明したが,ソウル地検が捜索に入ると、
住職は「仏画は盗まれた」といい,そのまま行方不明になった。

叡福寺の高麗仏画「楊柳観音像」も韓国国内にもちこまれた
 韓国の高麗仏画研究の第一人者,鄭宇澤(チョンウテク)東国大学教授に「楊柳観音像」について問い合わせがあった。
犯人と思われる人「楊柳観音像は値打ちがあるものなのか?今韓国にあるのだが。」
鄭宇澤教授「楊柳観音像は日本にあり,韓国にあるはずがない。」
 その後,鄭宇澤教授が叡福寺にすぐに入れたが,この電話により「楊柳観音像」の窃盗が判明した。

韓国の文化庁はこの事態をどうとられているのか
 「大般若経は個人所有であり,また外交問題につながる憂慮があるのでコメントできない。また,阿弥陀三尊像も所在がわからない状況ではコメントできない」とにべもなかった。
ソース::週刊新潮10月13日号

元記事1

元記事2


 これはひどい!

 本当になんとかせんと、今後もやられるかもなあ・・・。


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2008年03月10日

歴史人物・・・「マルクス・アティリウス・レグルス 〜ローマの誇りを体現した男〜」

マルクス・アティリウス・レグルス (BC310〜250)
共和制ローマ執政官 (BC267,256)


 今回取り上げるのは、第1次ポエニ戦争時代の執政官、マルクス・アティリウス・レグルスや。

 レグルスって、星の名前にありましたよね。

 獅子座の星やな。語源は一緒やろうが、この人とは無関係やろ。

 さて、BC256年、執政官に就任したレグルスは、同僚の執政官とともに330隻の大艦隊を率いてカルタゴ目指して出発するんや。そして、シチリア島のエクノモス岬沖でカルタゴ艦隊と激突するんや。

 それってどの辺?

 下の地図のマークがついているところや。



シチリア地図U




 さて、カルタゴ側はこの大艦隊を見ても余裕綽々だったんや。

 それはまたどうしてですか?

 カルタゴもほぼ同数の艦を揃えていた上、元々カルタゴは海洋貿易国家で、手練の船乗りの数も多かったんや。数が同じなら、小船で沿岸を行ったり来たりしているレベルの連中に負けるはずないと思ってたんやな。ところが・・・

 ところが?

 なんと、この戦いローマが勝ってしまったんや。

 え? 何でです?

 ローマには、「カラス」という秘密兵器があったんや。

 カラスって、鳥の?

 名前は鳥のカラスからつけられたようやな。何でかは知らんが。その実体は、巨大フック付き桟橋や。ここに模型があるで。


カラス


 見てのとおり、先端にフックのついた桟橋を、マストに括り付けておくんや。そして、敵艦に隣接したら、ロープを解いて敵艦めがけて落とすわけや。で、外れなくなった桟橋を伝って兵士が斬り込むという寸法や。

 もっとも、これのせいでバランスが狂って転覆する船が続出したんで、すぐに使われなくなったけどな。

 カルタゴ艦隊を壊滅させたローマ軍は、アスピスの街の攻略にも成功するんや。本来なら任務はここまでやったんやが、レグルスは功を焦って、さらに先へ進んでしまったんや。そして、ウティカというところで、援軍として呼ばれたスパルタの勇将クサンティッポに大敗、捕らえられてしまったんや。

 あらら・・・

 レグルスを捕らえたカルタゴは、彼を講和の使者としてローマに送り込むんや。その時に彼につけられた条件は二つ。ローマにシチリアからの全面撤退を約束させること、説得に失敗したときは即座にカルタゴに引き返すこと。

 ところがレグルスは、逆に「今講和したら、今までの犠牲がすべて無駄になる」と、決して講和しないように元老院に対し説得したんや。

 そんなことして大丈夫なんですか?

 そんな訳ない。当然交渉は決裂、レグルスはカルタゴまで連れ戻されることになったんや。彼の家族や友人たちは、必死で彼を引きとめようとするんやが、レグルス自身が、「私が約束を破ったら、ローマ全体がそういう国だと思われる」と言って拒否し、ローマを後にしたんや。そして・・・

 そして?

 カルタゴに連れ戻されたレグルスは、象のサッカーボールにされて、処刑されたんや。

 はい?

 正確には、レグルスの体を小さな丸い籠の中に押し込め、それを象に蹴らせて殺したんや。と言っても、あくまで伝説やけどな。



統率政治戦闘智謀魅力
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特技:海戦 演説


関連人物

ルキウス・マンリウス・ウォルソ・ロングス (?〜BC250)

統率政治戦闘智謀魅力
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 レグルスとともに戦った同僚の執政官よ。


マルクス・アエミリウス・パウルス (?〜?)

統率政治戦闘智謀魅力
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 彼は紀元前255年に就任した執政官や。レグルスが捕らえられ、壊滅した軍の救援に向かったんやが、帰還途中に嵐に遭遇し、264隻のうち184隻を失うという大惨事を引き起こしてしまったんや。この時の犠牲者は数千とも数万とも言われとる。


クサンティッポ (?〜?)

統率政治戦闘智謀魅力
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 カルタゴが雇ったスパルタ人の傭兵隊長だよ。当時としては最強クラスの名将だったらしいね。


参考文献 「ローマ人の物語2 ハンニバル戦記」 塩野七生
       「古代ローマ歴代誌」 フィリップ・マティザック
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2008年02月29日

歴史人物・・・「プブリウス・アッピウス・クラウディウス・プルクルス 〜顔だけの執政官〜」

プブリウス・アッピウス・クラウディウス・プルクルス (BC288〜247)
共和制ローマ執政官 (BC249)

 またクラウディウス?

 そうや。今回取り上げるのは、プブリウス・アッピウス・クラウディウス・プルクルス。前回のクラウディウス・カエクスの息子や。

 えーと、カエクスって、「盲目の」という意味のニックネームでしたよね。「プルクルス」もニックネームなんですか?

 うむ。「プルクルス」ってのは、イケメンって意味や。





 ・・・はい?

 ・・・マジっすか!?

 はっはっは、冗談や。まあ本当は「ハンサム」って意味やから、そんなに違いはないんやけどな。

 さて、このプブリウス、BC249年に執政官に就任するわけやが、まさにこの頃のローマは第一次ポエニ戦争の真っ最中だったんや。

 ポエニ戦争って、何が原因で起こったんですか?

 BC288年に、マメルティニと呼ばれるカンパニア出身の傭兵集団が、メッシーナを襲撃したのがはじまりや。メッシーナを占領下においたマメルティニは、それを快く思わないシラクサのヒエロン2世と対立することになり、ローマ、カルタゴの両方に助けを求めるんや。

 しかし、ローマはあのピュロスに暴れられたダメージから回復しきれておらず、介入に消極的だったんや。そこでマメルティニはカルタゴに助けを求めるんやが、それを知ったローマは、メッシーナまでカルタゴに押さえられてしまうとヤバイと判断して、慌ててマメルティニと手を組み、メッシーナにローマ軍を進駐させるんや。

 で、それがいつのまにやらローマVSカルタゴの図式にすりかわり、シチリアの獲り合いに発展してしまったわけや。





 さて、話を戻すが、プブリウスは執政官に就任すると、120隻の大艦隊を率いて、カルタゴ領であるシチリアのドレパヌムという港町の攻略にむかうんや。

 しかし、この男、あろうことか自分の乗った旗艦を、艦隊の最後尾につけてしまううんやな。そのせいで敵艦隊の動きが全く見えなくなっていたんや。

 カルタゴの将軍は、ローマ艦隊の接近を知ると、わざとカルタゴ艦隊を港の外に出しておいたんや。一方、ローマ側の先鋒は港に敵がいないのを知って引き返そうとするんやが、それと知らない後続の艦が次々と港に入り込もうとするもんやから、味方同士あちこちで衝突し、大混乱に陥ってしまうんや。そこをめがけてカルタゴ艦隊が襲い掛かり、後は大惨事。120隻中93隻を失うという大惨敗で、命からがらローマに逃げ帰ることになったわけや。

 なんという無能軍人。

 これだけならただの無能軍人やけどな。これだけじゃ終わらなかったんや。ローマに帰還したプブリウスは、あきれたことに今度は自分の所有する奴隷の息子を、「独裁官」に就けようとしたんや。

 何それ。とんでもないわね。

 それを知った市民たちは、さすがにぶち切れてしまい、プブリウスは吊るし上げを食らって自殺に追い込まれるんやけどな。

 悲惨な末路だね。

 ところが、まだ話は終わらないんや。プブリウスにはクラウディアという名の妹がいたんやが、コイツがまたイイ性格をしていてな、ある競技を観戦した帰り道、大群衆で道が渋滞していることに苛立ってこんなことを言ったんや。



 兄様が生きていて、もう一つ艦隊を失ってくれたらよかったのに。平民共の数をもっと減らす必要があるわね。




 ・・・(呆然)

 ・・・すごい兄妹・・・。



統率政治戦闘智謀魅力
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関連人物

アドゥヘルバル ?〜?

統率政治戦闘智謀魅力
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 プブリウスを散々に打ち破ったカルタゴの将軍よ。



参考文献 「ローマ人の物語2 ハンニバル戦記」 塩野七生
       「古代ローマ歴代誌」 フィリップ・マティザック
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2008年02月17日

歴史ニュース・・・「ナポレオン「毒殺」を否定、少年時代の髪からも高濃度ヒ素」

ナポレオン「毒殺」を否定、少年時代の髪からも高濃度ヒ素
2月13日10時36分配信 読売新聞


 【ローマ=松浦一樹】イタリアの国立核物理学研究所(INFN)は11日、フランスの皇帝ナポレオン・ボナパルト(1769〜1821年)が「毒殺された」とする俗説を打ち消す研究結果を発表した。

 ナポレオンの死因は、いまだナゾとされているが、1961年に遺髪から高濃度のヒ素が検出されたことなどから、セントヘレナ島で幽閉されていた晩年に「ヒ素を盛られた」とする毒殺説が広く流布している。

 しかし、INFNでナポレオンの少年時代から晩年までの毛髪の標本を集め、小型原子炉を使ってヒ素の含有量を測定したところ、少年時代からすでに高かったことを突き止めた。皇后ジョセフィーヌや息子ナポレオン2世の毛髪も解析したところ、同様に高濃度のヒ素を含んでいることがわかったという。

 INFNは「200年前の人々は現代人に比べ、毛髪のヒ素含有量が100倍高かった」と説明しており、「ナポレオンの死が毒殺によるものではないことが明白になった」としている。


 ふむ。まあそんなところやろ。
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2008年02月11日

歴史ニュース・・・「南大門、全焼崩壊 韓国社会に強い衝撃」

南大門、全焼崩壊 韓国社会に強い衝撃


10日夜出火したソウル市の「南大門」(崇礼門)は、木造二層構造の楼閣のうち、一階部分のごく一部を残して全焼、崩壊した。韓国大手朝刊各紙が一面トップで火災を伝えるなど、韓国社会は600年の歴史を持つ国宝第1号の焼失に強い衝撃を受けている。


 消防や警察、韓国メディアなどによれば、出火したのは10日午後9時前。消防車約40台などが出動した。一時は鎮火したかに見えたが、二階内部に残った火種が再び広がり、11日未明には崩落が始まった。朝鮮王朝時代の複雑な木造建築で、放水が内部になかなか届かず、初期消火に失敗。途中から瓦や柱の解体も試みたが、間に合わなかったという。

 また、通信社の聯合ニュースは、文化財庁から「文化財を痛めないように、慎重に消火してほしい」という要請があったため、積極的な鎮火作業に踏み切れなかったとする、消防関係者の発言を紹介した。

 一方、韓国テレビ各社は未明まで、火災の模様を生中継で放送。「我々の自尊心が失われた」「どうして火災を防げなかったのか」などと嘆く現場の市民の声を伝えた。大手紙も「崇礼門が全焼崩壊」(東亜日報)、「国宝1号も守れない韓国」(中央日報)などと大々的に報じた。


 これは・・・、さすがにご愁傷様と言うほかないな。

 スプリンクラーとか火災報知機とかなかったんでしょうか。

 そういうのは一切ついていなかったそうや。タクシーの運転手の通報で消防車が駆けつけたそうやけど、中からの出火みたいやから、その時点でもう手遅れに近い状態やったんやろな。

 確かこれ国宝だったよね。

 「国宝1号」だそうや。それにしては扱いがぞんざいな気がするがな。

 ちゃんと再建できるんでしょうかね・・・。

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2008年02月03日

歴史人物・・・「アッピウス・クラウディウス・カエクス」

アッピウス・クラウディウス・カエクス (BC350〜271)
共和制ローマ執政官 (BC307,296)
claudius caecus.jpg

 15回目となる今回は、執政官アッピウス・クラウディウス・カエクスについてや。

 前にも似たような名前の人いましたよね。

 こいつやろ。クラウディウス・カエクスは直系の子孫や。さて、クラウディウスは307年と296年の2回執政官になってるが、彼が業績を残したのはそのときではなく、監察官だったときや。

 監察官って何? 警察みたいなもの?

 ちょっと違うな。主に戸籍関連や公共事業の管理をする役職や。何で「監察官」という呼ばれ方をするかというと、戸籍関連の管理という職務の中に元老院議員の名簿の管理も含まれていて、必要に応じてその地位を奪うことが出来る権限を与えられていたからや。

 さて、クラウディウスの残した最大の業績は、「アッピア街道」と「アッピア水道」の建設や。


アッピア街道
アッピア街道


 アッピア街道は聞いたことありますね。

 ローマの街道の中でもいちばん有名やからな。さて、これで終われば立派な政治家だったんやが・・・。

 何かあったの?

 うむ。やっぱり祖先と似た部分があったのか、いろいろとやらかしてるんや。

 何をやったんです?

 コイツが就いていた監察官という職、コレの任期は18ヶ月と決められていたんや。ところがコイツは任期を過ぎても辞任せずに、4年間もその地位に居座り続けたんや。それ以外にも政敵を蹴落とすために選挙区をいじったりもしてたそうや。

 何かせこいですね・・・。

 ちなみに「カエクス」というのは「盲目の」という意味のニックネームや。晩年に病気で視力を失ったところからついたんや。






統率政治戦闘智謀魅力
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2008年01月23日

歴史人物・・・「ヒエロン2世」

ヒエロン2世 (?〜BC215)
シラクサ王 (在位BC265〜215)

hieron2.jpg

nanako4.JPG おーっす。相変わらず寒い日が続くが、元気だったか?

kagami4.JPG 先生は相変わらずですね。

nanako4.JPG おう。さて、こうやって歴史上の人物について話すのも14回目になるわけやが、今回取り上げるのは、シラクサの王ヒエロン2世や。

kagami4.JPG シラクサというと、シチリア島でしたね。

nanako2.JPG その通り。ヒエロン2世は元々軍人で、あのピュロスがシラクサに来たとき、その部下だった人物や。いくつかの戦いを経て頭角を表し、紀元前265年に市民に推されて王位につくんや。そのとき、昔の名君ヒエロンの名を取り、「ヒエロン2世」を名乗るんや。

nanako2.JPG さて、当時のシラクサは、ローマとカルタゴという2大国の間に挟まれ、その争いに巻き込まれていたんや。当初、シラクサはカルタゴ側についていたんやが、ヒエロンは状況を見てローマ側に鞍替えしたんや。これが大正解。ローマは第1次ポエニ戦争でカルタゴに勝ち、シラクサは見事に勝者の側につくことが出来たんや。

kagami3.JPG それって「日和見」じゃないですか?

nanako2.JPG まあ、確かにその通りではあるが、このシラクサみたいに大国の間に挟まれた小国にとっては、勝ちそうな陣営につくのは当然の選択や。日和見だからといって非難するわけにはいかんな。さて、見事な外交によって国を安定させたヒエロンは、ヒエロン法典の制定、艦隊の増強、新兵器の開発などに力を注ぎ、シラクサの黄金時代を築き上げるんや。そして、50年という当時としては驚異的ともいえる長期の在位の後、世を去るんやが、そのときの年齢は90を超えていたと言われとる。

konata2.JPG 紀元前で90歳以上って、とんでもない長生きだね。ところで、新兵器ってどんなの?

nanako4.JPG その話をする前に、泉、「比重」って知ってるか?

konata2.JPG そりゃまあ、そのくらいは。

nanako4.JPG じゃあ、それを「発見」した人は?

konata2.JPG え・・・? 知らない。

kagami4.JPG アルキメデスですね。

nanako4.JPG その通りや。よく覚えてたな。じゃあその時のエピソードも知ってるか?

kagami4.JPG えーと、確か王様の王冠に混ぜ物がしてあるかどうか王冠を傷つけずに調べろという命令がきて、困ったアルキメデスが気分転換に風呂に入ったところ、浴槽から湯がこぼれるのをみて判別方法を思いついたという話でしたっけ。

nanako4.JPG ちょっと不正確やが、まあそんなところや。そして、その王冠の持ち主こそが、このヒエロン2世や。

kagami4.JPG へー、そうだったんですか。

nanako4.JPG このアルキメデスという人物は、当代随一の天才科学者でな、ヒエロンの命を受けて幾つもの秘密兵器を開発したんや。これが「アルキメデスの兵器」といわれ、長い間シラクサの守り神となったんや。

konata2.JPG それってどんなの?

nanako2.JPG 詳しいことは不明なんやが、滑車とてこの原理を応用して、接近してきた敵船を転覆させる装置や、ビーム兵器のようなものまで開発していたといわれとる。

kagami2.JPG はい?

konata2.JPG ビーム兵器!?

nanako2.JPG まあ、伝説の域を出んがな。巨大な鏡とレンズを使って太陽光線を収束させ、敵船を焼き払ったとされているんや。

konata1.JPG そりゃまた、なんとも豪快な・・・。






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参考文献 「ローマ人の物語2 ハンニバル戦記」 塩野七生
       「歴史を動かした『独裁者』」 柘植久慶


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2008年01月15日

歴史ニュース・・・「朝鮮王朝実録、400年ぶり再編集へ」

【韓国】朝鮮王朝実録、400年ぶり再編集へ[01/15]

朝鮮時代前期の4大史庫である春秋館、星州、忠州、全州の中で全州史庫の朝鮮王朝実録だけが壬辰倭乱(文禄・慶長の役)当時、戦火から逃れることができた。
太祖から明宗まで13代の実録で、613冊5万3102ページに達する膨大な記録だ。
倭乱後は江華道の鼎足山などに移されたが、現在は宣祖から哲宗までの実録と共にソウル大学奎章閣に保管されている。

全羅北道全州市が今年から2011年まで、文化観光部や全羅北道の全面的な支援を得て、全州史庫に保管されていた王朝実録の復刻版を制作する。
原本と同じ材質の紙を使用し、表紙には絹で装飾を施して紋様を刻むことにより、まったく同じ本を制作するという事業だ。

合計10冊の復刻本を制作するための予算は100億ウォン(約11億6000万円)。
手で直接すいた伝統的な韓紙に、1枚ずつ文字を印刷して制作するため、多くの費用がかかるということだ。
朝鮮王朝実録全体をフィルムとして保管しているソウル大学奎章閣も、事業に協力することを約束した。

まず今年は国の予算5億ウォン(約5800万円)を含む計10億ウォン(約1億1600万円)が投入される。
来月中に専門の機関や団体に委託し、まずは太祖から太宗までの実録52冊4800ページの復刻本を制作する。
全州の韓紙メーカー11社が、1000年以上保存可能な韓紙を製造する。
全北大学博物館のホン・ソンドク学芸研究士は、「朝鮮前期の歴史を見守ってきた全州で、韓紙の本場としての誇りを生かすことのできる仕事だ」と述べた。

事業はユネスコ記録文化遺産でもある実録を、国内の主な博物館や図書館にも保管して一般にも閲覧可能にし、写真撮影や手に取ることもできるようにしたい、という構想からスタートした。
市側は復刻本の一部を奎章閣、大統領記録館、国会図書館、さらに復元された全州史庫に保管・展示し、残りは国内の主要な博物館や図書館に販売する計画だ。

全州市の宋河珍(ソン・ハジン)市長は、「復刻本事業の収益金は、朝鮮後期の王朝実録とフランスに奪われた外奎章閣図書など、複数の儀軌の復刻本を全州韓紙で制作するのに用いる計画だ」と語った。

全州の朝鮮王朝実録は、光海君の時代に副本として制作され、春秋館、太白山、鼎足山、赤裳山、五台山のいわゆる後期5大史庫に保管されていた。
春秋館本は仁祖の時代にイ・グァルの乱(1624)で焼失し、太白山本は釜山の国家記録院に、赤裳山本は金日成(キム・イルソン)総合大学に保管されている。
五台山本は日本に略奪され、その後関東大震災でほとんどが焼失し、東京大学に保管されていた残りは2006年に返還された。

http://www.chosunonline.com/article/20080115000060


nanako2.JPG うーん、まあ復刻するのはいいことなんやが・・・。

kagami3.JPG 正確に復刻されるかどうか、微妙ですね。

nanako3.JPG 今までの例を見ると、都合の悪い部分を平気で改竄しかねんからなあ。それから、朝鮮王朝実録は日本が略奪したんやない。正規の手段で購入したんや。

kagami3.JPG こんな調子じゃ、どんなものが出来上がるやら。
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2008年01月13日

歴史ニュース・・・「日本は韓半島の古代部族国家ウガヤが建てた国」

■日本は韓半島の古代部族国家が建てた国 〜 「日本(ニッポン)」という国号の由来
  −− 朴炳植(パク・ピョンシク)/歴史学者

今日の「日本(ニッポン)」という国号は、元々「ヤマト(邪馬臺)」であった。そうした事実は、日本の万葉集は勿論のこと、魏志(倭人伝)の記録からも立証される。

そして彼らが初めて漢字で「日本」と表記し始めたのは、確実ではないがおそらく西暦670年前後、天智天皇の時代のことであったと推定される、と日本の学者たちは述べている。

注目すべきは、当時は「日本」と表記はしても今のように「ニッポン」と訓んだのではなく、それ以と同じく「ヤマト」と訓んでいたという事実だ。そのような事実は、西暦750年頃に編纂されたと推定される万葉集に載っている歌で、漢字で「日本」と表記されている国号がすべて「ヤマト」と訓まれていることから、確認することができる。

それが今のように「ニッポン」または「ニホン」と呼ばれるようになったのは、「日本」に対する我が国の漢字音「イルボン」を真似たからだということを、認識せねばならない。すなわち、漢字の「日本」を我が国で「イルボン」と発音したが、彼らはそれを最初は「イルボン」と発音し、次第に「ニホン」と発音するようになったのだ。

ここで我が国の「イ-」が「ニ-」に、「-ル」が「-ッ」へ変わったというのは、現在我々が「イシ」と発音する「李氏」をかつては「ニシ」と発音し、漢字の「達」を我が国では「ダル」と発音するが日本人は「タツ」と発音するような「音韻変化の法則」のためだ。

時代を経るにつれ彼らは「-ル」を脱落させて、「ニッポン」と言っていたのを「ニホン」と発音する人が多くなった。そのようになると日本政府は国号を直して統一させようと、明治初期に緊急国会を召集して討議したすえ、「ニッポン」と発音するのが正しいという決議を通過させたが、今でも多くの人が「ニッポン」とも「ニホン」とも言っている。

一つ付け加えると、日本の元々の国号「ヤマト(邪馬臺)」とは、高霊(コリョン)地方を中心に栄えた古代部族国家「ウガヤ」の国号であり、日本列島に渡って現在の「ナラ県」地方に定着してその地域に新しい国(ナラ)を建てた我々の先祖が付けた名前だ。

今日、その地域を「ナラ県」と呼ぶのも、我々の先祖がその地に新しい国を建てたためであることを立証してくれる。

(筆者は日本天皇家を一生研究してきた歴史学者。日本の大学で教授を務め、著書に『日本語の悲劇』『日本語の発見』など20冊余りがある。現在は韓民族文化研究院学術顧問。)

▽ソース:ブレークニュース(韓国語)(2008/01/10 09:46)
http://www.breaknews.com/new/sub_read.html?uid=75985§ion=section14

nanako3.JPG ちょっとマテ。

kagami2.JPG なにこの記事・・・

konata2.JPG ものすごい毒電波だね。単に「日本」を韓国語読みしたのが「イルボン」ってだけなのに・・・。

nanako2.JPG これは全部、朴炳植とかいう奴の妄想だからな。裏づけとなる史料なんかありゃせんで。こんな寝言書いて金貰えるなんて、ほんといい商売やな。



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2008年01月01日

歴史ニュース・・・中国側も「偽物」見解 対日批判の根拠「田中上奏文」

中国側も「偽物」見解 対日批判の根拠「田中上奏文」

【北京=鈴木孝昌】日中両国政府の合意を受けて2006年末から進められている「歴史共同研究」で、中国側が「対中侵略の計画書」と位置付け日本側と真偽論争を続けてきた「田中上奏文」について、中国側が「偽物」と認める見解を示していることが分かった。中国は同文書を対日批判の根拠としてきたが、公式な研究で見解が見直される可能性があり、歴史認識の違いを埋める一歩となりそうだ。

 田中上奏文は、1927(昭和2)年、当時の田中義一首相が対中侵略や世界征服の計画を昭和天皇に密奏したとされる文書。

 日本では「偽物」との見方が大勢だが、中国では歴史教科書にも記述され、北京の盧溝橋にある「抗日戦争記念館」でも展示されている。

 共同研究の複数の中国側関係者は、本紙に対し「田中上奏文は信頼性が低く、中国の専門家の間でも本物ではないという考えが主流になりつつある」と指摘。07年11月に福岡で開かれた分科会でも中国側委員から同様の意見が出された。

 委員の1人で、中国政府直属の研究機関、中国社会科学院の蒋立峰・日本研究所所長も、05年以来、非公式に同様の考えを示している。

 08年6月にまとめる共同研究の報告書で「偽物と結論づけるのは時期尚早」(関係者)との意見があるものの、主流となりつつある考え方が報告書に新たに反映される可能性がある。

 同時に、中国側は「日本に対中侵略の意図があったことは確実。満州事変後の事態は、ほぼ上奏文の通りに進展した」との立場を堅持。日中戦争を「侵略戦争」と認めるよう求めている。

【田中上奏文】1927年、日本政府が対中政策を検討した「東方会議」を受け、田中義一首相が天皇に上奏したとされる文書。中国語で2万6000字に及ぶ長文で「支那を征服せんと欲せば、まず満蒙(中国東北部と内モンゴル)を征服せざるべからず。世界を征服せんと欲すれば、まず支那を征服せざるべからず」とし、大陸における移民政策や鉄道建設、学校や病院運営などの具体的政策が記されている。


nanako3.JPG 何をいまさら。そんなのは何十年も前に判ってたやろ。

kagami3.JPG そうなんですか?

nanako3.JPG ああ。なにしろ「上奏文」なのに、最初に出てきたのが「中国語」の文や。

kagami2.JPG あー、なるほど。「日本語」のオリジナルがないとおかしいわけですね。天皇陛下が読まれる文なら、ほいほい捨てるわけもないですし。

nanako2.JPG そういうことや。今になって中国側が偽物と認めたのは、もう「用済み」になったと判断したんやろ。このくらいのことで中国の態度が変わるなんて甘い考えは持たんほうがいいな。こないだ日中戦争の犠牲者数をいきなり3500万人に増やしたばっかやし。

konata2.JPG それってどこの超人軍隊?
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2007年12月14日

歴史ニュース・・・「日本の国宝に息づく新羅・百済文化」

【日韓】「私達の祖先が日本文化に及ぼした影響について考えると誇らしい」日本の国宝に息づく新羅・百済文化[12/13]

日本の国宝に息づく新羅・百済文化 本紙・新韓銀行・GS共同企画「日本の中の韓民族史探訪」

「釜山‐対馬‐博多に通じる海の道は韓国文化が日本に伝えられた主な経路でした。4‐6世紀ごろ、古代日本に花開いた飛鳥文化もこの道を通して形成されたのです」
檀国大学のチョン・ヨンホ碩座教授(大学が基金を財源に教授に迎え入れた、学問的業績に優れた人物)が説明するように、九州・飛鳥・奈良・京都にかけて日本の各地には約1500年前から伝えられてきた韓国文化の魂が今も深く息づいている。
長い歳月のうちに上塗りされてきた「日本らしさ」も、韓民族特有の文化を覆い隠すことはできなかった。

本紙が新韓銀行・GSと共に企画した「先生を海外へ−日本の中の韓民族史探訪」は今年で21回目を迎える。
1987年から毎年船に乗り、日本を訪れた参加者は1万人を超える。今月5日から6泊7日で行われた今年の探訪には、538人(教師394人・一般人144人)が参加、2万3000トンの専用遊覧船「富士丸」に乗り、歴史に触れた。

8日、奈良・東大寺にて。檀国大学のチョン・ヨンホ碩座教授(右)の講義を聞く探訪団員たち。


昼は歴史ゆかりの地を訪れ、夜はチョン・ヨンホ教授、ソン・スンチョル江原大学教授による船上講義が行われた。さらに、夜12時を過ぎても教師らの自発的なセミナーは続き、船室の明かりは灯ったままだった。新羅の「金銅弥勒菩薩半跏思惟像」そのものを思わせる日本の国宝第1号である京都・広隆寺「弥勒菩薩半跏思惟像」、色とりどりのしま模様のチマ(スカート状の衣服)が韓国のものと分かる奈良・明日香村高松塚古墳の壁画「飛鳥美人」、手の先が美しく、名前からして由来が分かる奈良・法隆寺の「百済観音立像」など…。
ソウル市東北高校のチ・ミョンジュン教諭(49)は「日本の中に息づく韓国の歴史を体験できる、本当にいい機会だった。わたしたちの祖先が日本文化に及ぼした影響について考えると、誇らしく胸がいっぱいになる」と話す。

今年は朝鮮通信使400周年に当たるため、探訪団員たちの感慨は一層深い。ソン・スンチョ教授は「朝鮮通信使により当時、日本では朝鮮の詩文に関する関心が非常に高かった」と説明する。
忠清南道青陽農業工業高校のイム・ミジャ教諭(43)は「より良い文化こそ伝わるものなのに、今の韓流ブームが終わってしまったら、次に韓国は何を伝えられるのだろうかと悩む」と語った。

また一方では、反省する声もあった。釜山テピョン小学校のアン・ジェホン教諭(39)は「“日本に文化を伝えた”と、韓国は過剰な優越感を抱いていたのではないかと反省させられる。
韓国から伝わったものを基に、独特の文化を生み出した日本の底力も認めるべきでは」と語ったのが印象的だった。

大阪=『少年朝鮮』ウ・スンボン記者

朝鮮日報/朝鮮日報JNS
http://www.chosunonline.com/article/20071213000056


nanako3.JPG うーん。隣同士なんやから、そら多少の影響があるのは当然なんやけども・・・。

kagami3.JPG 「誇らしい」とか、どうしてこの人たちってこういう考え方しかできないんでしょうか。

nanako3.JPG たとえば、ヨーロッパ各国にローマ文化の名残があるからといって、現在のイタリア人が同じ様なこと言ったら、間違いなくヨーロッパ中から白い目で見られると思うで。

kagami3.JPG それにこの人たちが集まっているとこって、東大寺のメインの参道ですよね。他の参拝客にとってはいい迷惑ですよ。



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2007年12月11日

歴史人物・・・「ピュロス 地中海最強の傭兵王」

ピュロス (BC319/8〜272)
エピロス王


nanako4.JPG 今回は、ローマからちょっと離れ、エピロスの王ピュロスについてやるで。

kagami3.JPG エピロスってどこです?

nanako2.JPG 今のギリシア北西部にあたる地域や。

エピロス





nanako2.JPG ピュロスは若干12歳でエピロスの王として即位するんやが、17歳のとき、国を離れていた間に反乱が起こって追放されてしまうんや。しかし、イプソスの戦いに参戦して戦功を挙げ、エジプト王プトレマイオス1世の支援を受けて王位を回復するんや。

nanako2.JPG その後、マケドニア侵攻などで勇名を馳せ、当時ローマの圧力に苦しんでいた都市タレントゥムに助っ人として招かれるわけや。

konata2.JPG タレントゥムってどこ?

nanako2.JPG 現在のターラント。「長靴」のかかとの付け根のところやな。

タレントゥム





nanako2.JPG この時タレントゥムは、ピュロス王に対し、35万の歩兵と2万の騎兵、莫大な報酬を約束したんやが、実際に町を訪れた彼は唖然としたそうや。

konata1.JPG 準備が間に合わなかった・・・とか?

nanako3.JPG 間に合わないなんてレベルやない。全くなんの準備もされてなかったんや。兵士なんて一人もおらず、市場や劇場も普通に開いていて、これから戦争をしようって町にはとても見えなかったそうや。

kagami3.JPG は? なんでそんなことに?

nanako3.JPG 想像でしかないが、「最強のボディーガードを雇ったからもう大丈夫、後は全部任せればいい」とでも思ったんやないかな。平和ボケや。

kagami3.JPG 耳の痛い話ですね。しかしそれではピュロス王はどうしたんですか? 普通怒りますよ。

nanako3.JPG まあ、一都市国家が合計37万もの軍を用意しようとすること自体、無理がありすぎる話や。ピュロスもその辺はあてにはしとらんかったんやろ。自分が率いてきた軍勢2万8千だけでローマと戦うことにするんや。

nanako2.JPG BC280年、シーリス河畔でローマ軍と激突するんや。この戦いには勝つんやが、ローマ軍が予想以上に手強いことに驚いたピュロスは、和睦を申し出るんや。しかしローマ側に拒否され、279年にアスクルムで再度激突、この戦いにも勝つには勝つんやが、自軍の損害の大きさに唖然とし、「次戦えば、勝ったとしても我々は壊滅するだろう」と言ったそうや。このことから、割に合わない勝利のことを「ピュロスの勝利」と言うようになったんや。

konata2.JPG ネトゲでレアアイテムを手に入れる代わりに、好きなアニメを見逃すようなモノ?

kagami2.JPG またアンタはおかしなたとえを・・・。

nanako4.JPG いや、泉の場合はネトゲでレアアイテムを手に入れる代わりに、次の日のテストで赤点を取るようなモノやな。こないだみたいに。

konata2.JPG う・・・

nanako2.JPG 話を続けるで。278年にはカルタゴに圧迫されていたシチリアに招かれ、勝ち続けるんやが、厳しいやり方にしだいに疎まれるようになってイタリアに戻るんや。しかし、この時点で彼の軍勢は半減しており、マルヴェントゥムの戦いでとうとう大敗北を喫してイタリアから撤退するんや。

nanako2.JPG 帰国後もマケドニア、スパルタなどを転戦するんやが、アルゴスでの戦いで、落ちてきた瓦に当たって気絶したところを討たれたと言われとる。

kagami4.JPG 最期まで戦いづくめの一生ですね。

nanako4.JPG ああ。面白いエピソードがあるんで紹介しとこうか。ピュロスと部下のキネアスの会話や。





キネアス
 もしローマに勝てたら、その後はどうするおつもりですか?

ピュロス
 ローマに勝てたなら、イタリア全土を征服するのも時間の問題だ。

 イタリアを征服した後は、どうなさるおつもりで?

 シチリアを見過ごす手はあるまい。

 シチリアを征服したら、われわれの遠征も終わりというわけでしょうか。

 シチリアを手中にしたならば、リビアもカルタゴも視界に入ってくる。

 それほど強大な力を得た後なら、マケドニアもギリシアもひざを屈するのは目に見えています。とはいえ、王様、その後はどうなさるおつもりで?

 もう休むのも飽き飽きするほど、休息しようではないか。毎日酔っ払って、過ぎ去った戦いの数々を愉しく思い出して過ごすというのではどうかね。

 今、酔っ払うのはいけないのでしょうか。誰も止めるものはいないのだし、なにも今さら多くの血を流すことはないでしょう。

 ・・・・・






kagami2.JPG うわあ・・・。

konata2.JPG バトルマニアっぽい。

nanako2.JPG というか、アレクサンドロス大王のミニ版やな。







統率政治戦闘智謀魅力
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参考文献 「ローマ人の物語1 ローマは一日にしてならず」 塩野七生
       「英雄伝」 プルタルコス

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2007年12月10日

歴史ニュース・・・「ルートビヒ2世に暗殺説、肖像画の研究成果で」

【ドイツ】ルートビヒ2世に暗殺説、肖像画の研究成果で


ドイツ随一の観光名所、ノイシュバンシュタイン城を築城したことで知られるバイエルン王ルートビヒ2世は、自殺ではなく暗殺されていた――。こうした新説を唱えた本が出版されている。

 著者は芸術史を専門とするジークフリート・ウィヒマン氏。自らの半生を費やした研究を『バイエルン王ルートビヒ2世の殺害(Die Toetung des Koenig Ludwig II. von Bayern)』にまとめた。

 ルートビヒ2世は1886年6月13日、ノイシュバンシュタイン城近くのシュタンベルク湖畔で水死体となって発見された。捜査の結果、自殺と結論付けられたが、詳細は現在まで不明のままだ。子孫は今なお遺体の医学的な検査を拒んでいる。

 ウィヒマン氏は1960年代、ある法律家から3枚の絵の鑑定を委託された。うち1枚は亡くなった直後のルートビヒ2世を描いたものだったという。

 その顔には死後硬直の気配は見られず、口元からは濃い血が流れ出ていた。自身が第2次世界大戦で肺に榴(りゅう)散弾を浴びた際、同じようにべっとりとした血を吐いた経験から、同氏は「ルートビヒ2世はおぼれたのではなく、撃たれて死んだ」との見方を示している。[社会]

nanako2.JPG このニュースだけではなんとも言えんが、暗殺だとする根拠は薄いように感じるな。暗殺もありうる話ではあるが・・・。

kagami3.JPG いつものように、「今後の研究に期待」って言わないんですか?

nanako3.JPG 遺族が嫌がっている以上、これ以上どうしようもないやろ。
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2007年12月08日

歴史ニュース・・・「朝鮮民族は人類発生の黎明期に世界5大文化の一つである「大同江文化」を創造した」

【歴史】朝鮮民族は人類発生の黎明期に世界5大文化の一つである「大同江文化」を創造した[12/08]

朝鮮民族 優れた文化を創造

朝鮮民族は悠久な歴史と優れた文化を創造した民族である。人類発生のれい明期からこんにちまで、この地で世界5大文化の一つである「大同江文化」を創造し、同じ血筋を継いで暮らしてきた。
大同江流域で発見された古代文化遺物と遺跡がそれを実証している。

神話上の人物とされていた檀君が実在したことが考証されて、朝鮮民族は5千余年前にすでに檀君を始祖とする東方の強国をうちたてた単一民族であるという史実が実証された。

祖先たちは、侵略者の絶え間ない侵入を撃退して、長い間民族の血統をしっかり継いできた。
また、欧州諸国よりもはるか以前に、その質と製造技術において高い水準の鉄製道具、青銅製品をつくって利用した。

高句麗古墳壁画と朝鮮画は、長い歳月が流れたこんにちまでその色が変わっていない。
古朝鮮の支石墓に刻まれた星座や高句麗古墳壁画の星座図、7世紀前半期の膽星台(天文台)などは、天文学も極めて発展していたということを示している。

15世紀に訓民正音がつくられて国の科学と文化を発展させる土台が築かれ、世界で初めて金属活字と測雨器、亀甲船などがつくられた。
高麗の青磁器、絹、紙は世界的に有名である。(朝鮮通信)

[朝鮮新報 2007.12.7]
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2007/06/0706j1207-00003.htm


kagami2.JPG (゚д゚)ハア?

nanako3.JPG いやー、ここまでものすごい電波飛ばされると、いっそすがすがしく感じるな。

kagami2.JPG 五大文明って・・・。そんなの聞いたこともないわよ。四大文明なら習ったことあるけど。

nanako3.JPG 最近じゃ四大文明ってあんまり言わなくなったけどな。それにしたってこれはないわ。

konata2.JPG ところで檀君って誰?

nanako3.JPG 朝鮮の建国神話に登場する半獣半人の王や。当然ながら実在の人物じゃないわ。

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2007年12月04日

歴史人物・・・「マルクス・フリウス・カミルス 〜ローマを救った名将〜

マルクス・フリウス・カミルス (BC447〜365)
共和制ローマ独裁官 (BC396,390,389,368,367)

nanako4.JPG おーっす。寒い日が続くが、元気してたか?

kagami4.JPG 先生も相変わらずテンション高いですね。

nanako4.JPG これがあたしのとりえやからな。さて、今回取り上げる人物は、マルクス・フリウス・カミルスや。前回のキンキナートゥスより60年ほど後の人物やな。

nanako2.JPG このカミルスという男は、独裁官に5回、上級将校に6回も就任するほどで、生涯を通して負け知らずの名将や。最初の活躍はBC396年のウェイー攻略で、難攻不落の要塞として知られたウェイーを包囲戦の末に陥とし、そこにあった女神ユノの彫像をローマに持ち帰ったんや。これだけなら大戦果として称えられるはずやったんやが、そうはならなかったんや。

kagami3.JPG 何があったんです?

nanako3.JPG カミルスはこの戦いの凱旋式で、白馬4頭立ての戦車に乗って現れたんや。白馬4頭立ての戦車はローマでは神様の乗り物で、それに人が乗るというのは神様への冒涜に等しい行為やったんや。

konata2.JPG あらま。

nanako2.JPG まあ、この時はそれほどの大問題にはならなかったみたいやけどな。さて、2年後の394年、カミルスは上級将校としてファレーリという町に遠征するんや。この町にある教師がいてな、そいつは有力者の子弟に勉強を教えていたんやが、コイツが教え子を連れてカミルスの元へやってきたんや。


    この子達は、町の有力者の子供たちです。この子達を人質にすれば、町は簡単に降伏しますよ。


kagami2.JPG うわー、卑怯な奴。

nanako2.JPG 国を売って保身を図ろうとする奴はいつの時代にもいるもんや。それに対してカミルスはこう答えたんや。


    ふざけるな! そんな卑怯なまねなどできるか! 子供たちよ、この男を町まで連れて行きなさい。そして、私はあくまで正々堂々と戦うと町の人たちに伝えなさい。


kagami4.JPG 立派な人ですね。

nanako2.JPG これを聞いたファレーリの有力者は、彼の公正明大さに感じ入って戦わずして降伏するんや。ところが、問題は全く別のところから降りかかるんや。

konata2.JPG 今度は何?

nanako3.JPG 配下の兵士たちから不満が噴出するんや。戦えもせず、略奪もできなかったんで鬱憤がたまっていたんやな。さらに様々な噂が飛び交い、非難の矢面に立たされたカミルスは亡命に追い込まれるんや。


kagami2.JPG ・・・どっかで聞いたような話ですね・・・

nanako2.JPG カミルスの功績を妬んだ奴が悪意に満ちた噂を流したんやろな。そしてそれに一般市民が乗せられたっちゅうわけや。その結果どうなるかを考えもせずにな。

kagami3.JPG どうなったんです?

nanako2.JPG カミルスがローマを去ってまもなく、北からケルト人が攻め込んできたんや。これがまた桁外れに協力で、ローマ軍は敗退を重ね、386年にはとうとうローマ本国が陥落してしまうんや。

konata2.JPG ありゃま。

nanako2.JPG ここにきて、ようやくローマ市民はカミルスを呼び戻すことを決意するんや。

kagami3.JPG 自分たちで追い出しておいて、虫がよくないですか?

nanako3.JPG まあな。だがカミルスも自分の祖国が滅ぶのは嫌だったんやろ。散り散りになった軍を再編成すると、ローマで暴れているケルト軍に襲い掛かり、あっという間に叩き出してしまうんや。その後も、漁夫の利を狙って攻め込んできたラテン人、ウォルスキー人の軍も蹴散らし、彼が生きている間、ローマが外敵に敗れることは2度となかったんや。




統率政治戦闘智謀魅力
7841945565



参考文献 「ローマ人の物語1 ローマは一日にしてならず」 塩野七生
       「古代ローマ歴代誌」 フィリップ・マティザック
posted by THOMAS at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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